“なお生きて見るもよからん石楠花の尖る花芽もやや膨らめる”
諄三
10月4日(日)好天の下、グランドホーム・カペナウムにて、渋谷金太郎清瀬市長、
鈴木たかし市議、蒔田さくら子様を始めとした歌壇の先生方そして白南風短歌会の
多くの会員が集まり、鈴木諄三先生の歌碑除幕式が行われました。
以下はその際の私のご挨拶です。
「ただ今、ご紹介に預かりました長島です。この度の歌碑の建立、誠におめでとうございます。
2年半前、カペナウムにご入居されたたった一人のお客様の「ここで短歌を続けたい」との一言
からカペナウムでの「白南風短歌会」は始まりました。
私はその時から歌を作り始めました。新参者ですがご指名によりご挨拶させていただきます。
さて、熱意は一条の灯と申しますが、今回この灯を燈されたのは鈴木千代乃先生でした。
昨年10月、先生から歌碑を建てたいというお申し出を受けました。
もの言いこそ、“穏やか”でしたが、歌碑建立への熱意が体全体から迸っていらっしゃいました。
覚悟を決めてのお申し出と思いました。そして、私は先生のお話に感動し、お役にたてるので
あるならばとこのお申し出をお受け致しました。
そして、鈴木千代乃先生の熱意の灯は、瞬く間に燎原の火となり全国に広がっていきました。
先生のお歌はやさしさと深い心配りに溢れていました。加えて、私はこのお歌に
流れるような「美しさ」を感じました。そこで、一人でも多くの方の目に触れるように場所を玄関口と
し、後世に誇れる歌碑を作りたいと考えるようになりました。グランドホーム・カペナウムは、ご入居
された方々の「終の住処」です。オープンした時から、「終の住処」に相応しい「美しい場所」であり
たいと願い努力してきました。この美しいお歌が、ご入居のお客様や短歌との出会いを予定されて
いる未知の人々へのプレゼントとして、長く生き続けることを願います。
石は国産にこだわりました。この石は阿武隈山地の西北端に位置する大蔵山で採掘される
“伊達冠石”です。相応しい石と出会うまでには6ケ月を要しました。この石は、あの世界的な
芸術家イサムノグチが愛したことでも有名ですが、この黒い鏡面が深い鉄錆色に変化して
いきます。とても上品な色合いを醸し出すのが魅力です。既に鏡面の淵は変化し始めています。
(中略)
ここ清瀬は、結核の研究療養の地として有名です。
国立療養所清瀬病院の院長だった島村喜久治先生は、「明治以来の日本人の不幸は戦争と結核
であった」と述べられていますが、二十世紀中、戦争で命を落とした将兵の数が、約243万人(靖国
神社合祀者数)なのに対し、結核での死者は、実に約666万人にのぼることからしても、結核がい
かに国民全体の悲劇であったかがわかります。
医療機関や療養施設が集積している“清瀬”には、全国から沢山の結核患者が集まりましたが、
夭折の歌人相良宏もその内の一人でした。また、この不治の病に向き合う医療関係者も多く
集まりました。
それらの中には、鈴木諄三先生とも親交があった歌人上田三四二氏もいらっしゃいます。氏は
清瀬に住まわれ医師として東京病院、上宮病院に勤務されるかたわら、皆様ご存じのように
宮中歌会始の選者もされた方です。
実は、清瀬は歌人の町でもあるのです。
今回、鈴木先生の歌碑は清瀬での歌碑の嚆矢となりましたが、このような文化的な企てが
今後一層大切にされることを願います。
最後に、鈴木諄三先生、鈴木千代乃先生の益々のご健勝と、白南風短歌会の更なるご発展
をお祈りし、お祝いの言葉とさせていただきます。本日はおめでとうございます。」
以下は、式典終了後に私が詠った歌です。
“歌碑石を迎える朝の気は白く漂いゆれて地を抑えこむ”
“美しきこころは高く空を見よ白き風吹く歌碑建つところ”
“手を取りて目を潤ませる人のありわれ君にこそ輝きを見ん”
長島義剛